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92件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2013-11-06 第185回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

これを見たインド人法学者パール、元極東裁判のときの判事なんですけれども、慰霊碑を訪れた際に、献花と黙祷の後に、通訳を介して碑文の内容を聞くと、原爆を落としたのは日本人ではない、落としたアメリカ人の手はまだ清められていない、日本人日本人に謝罪している、この碑文はおかしいじゃないかというふうに非難をされました。  

中丸啓

2006-02-10 第164回国会 衆議院 予算委員会 第9号

だれが悪かったんですかということを、この国会で、少なくとも政府は明らかにしていなかった、そして、極東裁判で裁かれた方々もそれは責任者ではない、だれか特定できないんだということをあなたはおっしゃった。間違いありませんよね。  そんなことだったら、これだけのことを日本が過去の歴史でやって、確かに被害を受けられた国から、日本人がだれかわかりませんと世界に対して言えるんですか、日本が。

末松義規

2006-02-10 第164回国会 衆議院 予算委員会 第9号

そして、さらに続けて言いますが、日本人裁判官はいなかったんですが、サンフランシスコ条約極東裁判で、ここで日本受諾しております。ということは、そのときに、日本戦争責任の判断をしたのではなくて刑の執行を引き受けたということが言われておりますが、そうしますと、日本は主体的に戦争責任を総括して追及したことがないのではないかと思いますが、そこは安倍官房長官の御認識を伺いたいと思います。

末松義規

2005-05-18 第162回国会 衆議院 外務委員会 第8号

ただ、そのことと、では極東裁判そのものを否定するのかと言われれば、確かに罪刑法定主義、遡及しないという一つのそれは法律の大原則にのっとってパールさんの御議論は展開されているんだろうと思いますけれども、それはそれとして、しかし私どもは、日本国際社会に復帰する一つプロセスとして、あの極東裁判というものがあり、その結果を受け入れ、日本が講和を結び、そして独立国になっていったというプロセスを考えたときに

町村信孝

2001-05-14 第151回国会 衆議院 予算委員会 第16号

ただ唯一、極東裁判の結果を受け入れるという形で消極的にそれを認めてきたという形があるものですから、そういうけじめのなさが、この問題がここまで尾を引いていると思っております。  ですから、私は、この問題はまさに小泉政権のもとでもう少しどちらかの形にすっきりしたらどうか。宗教的行事でないのであれば、必ずしも靖国神社にこだわる必要はないのかもしれません。

菅直人

2001-04-18 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第6号

それは、常に私の頭の中にあるのは、あの極東裁判の状況です。それは、キーナンという弁護士が、それはもう本当に、私たちがまだ高校生ぐらいでしたけれども、それを何回見ても、今もだけれども、このすばらしい民主主義の法廷というものを、キーナン勝者であるにもかかわらず、日本立場弁護活動をやりました。

本田良一

2000-04-12 第147回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号

ですから、極東裁判史観が正しいとか正しくないとかいう歴史的な評価はともかくとして、国際間の約束として、日本戦争に負けて無条件降伏した結果受け入れさせられた戦争裁判についての立場は、このサンフランシスコ条約の十一条にあるわけです。  したがって、サンフランシスコ平和条約に基づく義務を履行すると。

中江要介

1998-03-25 第142回国会 参議院 予算委員会 第10号

極東裁判というものには学者の中においてもいろんな議論がありますし、また学者とは違った立場方々からも御論議があることは、これは私自身承知をいたしております。  しかし、国と国との関係ということになりますと、私は、外務大臣がお答えを申し上げましたように、サンフランシスコ平和条約の第十一条によってこの極東国際軍事裁判所裁判受諾している、その上で独立を回復してきた。

橋本龍太郎

1994-08-23 第130回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

こういうものがいっぱいあるから、極東裁判でも侵略戦争として認定し、それをサンフランシスコ平和条約でも受諾をするということになっているわけです。  ここのところを認めるということは根本ではないか、改めてお聞きしますと同時に、もう一つ、この国会決議ということについて、村山総理は三カ月前に言われたわけです。この点についてどう考えているのか、二つの点についてお聞きをしたいと思います。

松本善明

1994-06-13 第129回国会 参議院 予算委員会 第13号

中曽根首相は、極東裁判史観なんということを言いました。丹波局長は、六月八日、衆議院予算委員会で、これは戦後国際社会に復帰していくための一つのやむを得ない受諾だったと、私もいろいろな気持ちを実は持っております、などと言っている。しかし、宇野首相は、八九年、このサンフランシスコ平和会議で私たち極東軍事裁判の結果をすべて受諾した、こうも答えたんですね。  はっきりすべて受諾している。

上田耕一郎

1993-11-09 第128回国会 参議院 内閣委員会 第4号

また、戦後もその沿線の中でずっと大学まで通っていた関係もございますので、そこで極東裁判が行われたということ、あるいは三島氏があそこで割腹自殺をされたことなども、割とその当時のことはいまだに頭の中にほうふつとして浮かんでくるわけでございますので、一つ生活圏の中に現在の自衛隊の建物があることをよく承知いたしておったところでございます。

石田幸四郎